リトミックの原点がここに〜心と体を調和させていく人間教育〜

黒柳徹子さんの著書「窓ぎわのトットちゃん」の続編が出版されたとの事で、その前に…と再び読み返していました。

この本は私が小学生の頃、母が「面白いから読んでごらん」と渡してくれたもの。
当時の私はトットちゃんの色んなユニークな武勇伝(?)に驚きつつも面白く、クスクス笑いながら読んだりしていたものです。
そして、私が初めて「リトミック」というものに出会ったのもこの本でした。

その頃既に、桐朋学園子供のための音楽教室に通い、その道に進むと幼いながらも心に決めていた私ですが、「リトミック」という言葉はまだ世に知れ渡っておらず、「どんなことをするのだろう?」と文章からはリアルに感じ取ることが出来ないまま時が過ぎていきました。

それから20年もの年月が過ぎ、思いがけずリトミックとまた再開することになった私。
リトミック研究センターの門をたたき、指導者研修を受講し、資格を取得し、リトミック講師として歩む日が来るとは、トットちゃんを読んでいたあの頃には想像もしていないことでした。

リトミックの研鑽を積み、自分も講師として活動する今、改めて読んでみると、ものすごく腑に落ちるというか、つまり黒柳さんが何を書かれていたのか、そして小林宗作先生が何を意図して行われていたのか、ということが深く、深く、理解出来たのでした。

例えば…

拍子が、どんどん変わると、けっこうむずかしかった。
そして、もっとむずかしいのは、校長先生が、ときどきピアノを弾きながら、「ピアノが変わっても、すぐには変わるな!」
と、大きい声で、いうときだった。
(中略)
これは、とても苦しいけど、こういうときに、かなり、子どもの集中力とか、自分の、しっかりした意志なども養うことができる、と校長先生は考えたようだった。
さて、先生が叫ぶ。
「いいよ!」
生徒は、「ああ、うれしい…。」と思って、すぐ三拍子にするのだけど、このときに、まごついてはダメ、瞬間に、さっきの二拍子を忘れて、頭の命令で、つまり筋肉の実行に移し、三拍子のリズムに順応しなければ、いけない、と思ったとたんに、ピアノは、五拍子になる、というぐあいだった。

講談社青い鳥文庫『窓ぎわのトットちゃん』より引用

この部分は、小学生ならではの複雑な活動を行っていますが、乳幼児のリトミックでも根本の部分は同じ。
子どもの集中力、しっかりとした意志を養うこと。
頭の命令で筋肉の実行に移すこと、それが自分なりに上手くできると「あぁ、うれしい!」と心身で喜びを感じること。
心と体にリズムを理解させ、精神と肉体の調和を助け、やがて想像力を醒まし、創造力を発達させること。

小林先生は、心と体を調和させていく人間教育としてリトミックを確立させたのだということが、長い長い年月を経てようやく実感することが出来たのでした。
そしてまた、私がリトミックを通して子だもたちと交わしたいと願っている思いも、この方向性で良かったんだ、と道しるべを示していただいた感じです。

戦時中に、このような教育への熱き思いを抱いて実行されていた小林先生の子どもたちへの愛情の深さと、大きさと、あたたかさには、ただただ感銘を受けるばかりです。

「右へ倣え」が当たり前の厳しい世の中で、その子自身が生まれ持った良い性質を、周りの大人や環境によってスポイルすることなく、その子の個性として伸ばす。ということを実行されていたのですから…

とにかく、校長先生は、子どもたちの、生まれつき持ってる素質を、どう、まわりの大人たちが、そこなわないで、大きくしてやれるか、ということを、いつも考えていた。
だから、このリトミックにしても、
「文字と言葉に頼りすぎた現代の教育は、子どもたちに、自然を心で見、神のささやきを聞き、霊感に触れるというような、官能を衰退させたのではなかろうか?
(中略)
世に恐るべきものは、目あれど美を知らず、耳あれど楽を聴かず、心あれど真を解さず、感激せざれば、燃えもせず……の類である。」
などと驚いていた校長先生が、きっと、いい結果を生むにちがいないと授業に入れたものだった。

講談社青い鳥文庫『窓ぎわのトットちゃん』より引用

こちらはトットちゃんのあとがきから、小林先生の教育の精神がよく伝わる部分を一部抜粋してのご紹介です。

どんな時代にもきっと、人間の本質を削いでしまう弊害が何かしら存在するのは致し方ないことなのでしょう。

だからこそ、私たちに大切なことを常に問い続けること。
心で感じて、耳を傾け、表現(行動)していくこと。
その心と体を育む環境を整え、子どもたちに与えること。
簡単なことでは無いけれど、大人が諦めてしまってはいけないのだということ。
子どもが自然の中で存分に遊び、自然と対話すること。
風や波、落ちる力、弾む力など、万物はリズムで動いており、そのリズムを子どもが全身で感じ、気づいていくこと。
自然の中で子ども同士が関わる中で心や体が揺り動かされること。

そして、そこから現れ出てくるものが表現であり、音楽であると。

恐れ多くも、私も小林先生のご意志を継いでリトミックに携わる端くれとして、少しでも多くの子どもたちの豊かな未来に貢献できるよう努めます。